職人母見参2
<チャラチャラ>
よみがえる工芸開眼?
何着けても変わり映えしないオバハンが。


このごろ私、チャラチャラしてます。

指輪をしたり、ペンダントをしたり、
作業着の汚さはそのままに、
イヤリングをしたり、
・・・・・・してます。
銀と天然石のインドやタイでつくられた
20代の頃していたような物達、再び、です。

発端は去年のわが家の鉱物ブーム。
奇石博物館へ家族で出かけたあたりから、
元々の天然石好きに火がつきました。
標本を買おうとネットで見ていたら、
”・・・高い!”
これならアクセサリーに加工されたものの方が
数等お安い。
色々なデザインのものを見ているうちに
忘れていた思いに火がつきました。

3歳の頃からのぴかぴか好き、石好き、が
小学生になって、ますます高じ、
鉱物や宝飾品に関する本も読むようになり
図書館でも借りまくっておりました。
中に、彫金工芸の本があり、
”こうすれば、自分で、好きな宝飾が作れるんだ!”
・・・思えば、これが私の工芸開眼。
工芸という言葉も、作り出す仕事としての工芸も
この本がきっかけで、知ったのです。
何度も繰り返し借りてきて、
技法手順のページを覚えるほどに
繰り返し眺める子供だったのですよ。

余談になりますが、後日、工芸科に入学し、
この本の著者である平松保城先生に、
実際に教えていただく巡り合わせになりました。
宿命という言葉がちょっと心をよぎりましたが、
盛り上げると大げさすぎて恥ずかしいので、
よぎっただけでこの余談はおしまい。

芸大に入り、彫金を専攻することも出来たのに、
あえて選ばず、陶芸の道を選んだのは、
”石が好き過ぎたから”だと思います。
鉱物好きの石コレクターの方なんかは
わかってくださるかと思います。
石は、石の姿のままが、一番美しいんですよね〜
最小限の加工がベスト、と今でも思ってます。
これは仕事になりません。
もう一つの理由は、今の時代、彫金屋として、
心ゆくまでつくったら、どうやっても採算がとれない。
王様や、貴族がいない現代では
超豪華な王冠なんて、一生作れない。
自前でつくろうにも材料費が
天文学的な数字になっちゃう。
それじゃつまらない。

かくして私は陶芸を専攻し、
泥だらけの人生を踏み出したのですね。
それと同時にアクセサリーとは
どんどん無縁になっていきました。

東洋陶芸史なんて授業があり、
国立博物館へ裏口から入っていき、
国宝や、重文をじかに手に取る機会もありました。
当然、茶道の”お道具拝見”的なルールも教わります。
指輪、時計、大きな石のペンダントなどは、
焼き物を手に取るときには、マナー違反になると知りました。
確かに、焼き物と金属は相性が悪い。
こつんと対決したら、焼き物の負けに決まってます。
それを聞いちゃったら
ヘンに真面目なところがある私、
ストイックがちょっとかっこいいと思ったのか、
自らチャラチャラを遠ざけてました。

晴れて陶芸家になってからも
家で、作業をしていたら、誰にも会いません。
家族でさえ、朝でていったら、夕方までは帰ってこない。
忙しく家事と仕事、チャラチャラしている暇なんてない。
個展の時は、焼き物を売っているんですから、
なおさらマナー違反はいかん!と、なる訳です。

・・・でも、2度目の成人を迎え、
あとはお婆さんになる一方なんだな、と思ったら、
こいつはとってもつまらない!と思ったのです。
暇になったらゆっくりと、なんて言ってたら、
シワシワにチャラチャラしなきゃなんないじゃない!
”むむむぅ、肩がこるから、重い石はしんどいねぇ”
なんて、まっぴらごめんよっ!

かくして、初心貫徹、固い決心の元、
今日もチャラチャラしています。
子供も喜んで点検していますよ。
家族全員が鉱物好きですから、
母の首から下がる日替わり標本が、嬉しいのです。
よく似合ってきれいに見える、なんて小さい事は、
私を含め、誰も思っていないあたりが、実に無邪気。
職人母の家庭ぞ、よし!という感じですぞ。
   (2005.2.14)



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