中田舎暮らし2
<廓〜くるわ〜って何するもの?>
おしゃべりするばっかりじゃん


さて、くるわという単位で、いったい何をするんでしょう。
越してきてすぐは、主婦一年生でもあった私。
ご近所づきあいも、当事者になるのは初めてでした。
????印がしょっちゅう点滅していましたが、
周りに教わりながら、体験していくのは
楽しくもありました。

まず、地域の仕事を分担する際の班分け、当番分け。
これは、廓単位です。
水路掃除や、公園掃除、神社の掃除・・・・(掃除ばかりだ)
廓ごとに性格があり
一斉に始まっても終了時刻にかなりの差異が出ます。
ちなみに私の廓は
かなり早めにに ”もうやめっぺや”と、なるようです。

そしてなんといっても冠婚葬祭です。
約束事は、年とともに変化しますので、
ここでは記録的にも面白いように、
工房を建てた1990年ごろのルールを書きます。

(下の文字の読みたいところをクリックして、ジャンプもできます。)




lこれは、まだ経験ないです。毎日よく働く人ばっかりですが、
お米を作ってもあんまり褒めてもらえないのでしょうか。変ですねぇ。


結婚式では、、この頃には、お嫁さんを迎える場合、
”廓の衆”を式場に招待していました。
一軒当たり、一人。お祝儀の最低線も決まってました。
今では、”各家の裁量”ということになっているようですが。
昔のように、お家で披露宴をするケースはないです。

その代わり、女衆に向けて”嫁ごの披露目”というものがありました。
こちらは、家に招待しての、宴会みたいなものです。
まあ、母ちゃんたちコミュニティーに、新規加入のご挨拶ですね。
カラオケで、近所のおばあさんは、”北の宿から”熱唱しちゃうし
(”あなた、死んでもいいですか、”っていわれても。)
当の花嫁も父負けじと18番の”山茶花の宿”
(不倫ソング・・です)を嬉々として歌っているし、
非公式の宴会は、おもしろいっぱいです。
ただ、これは、現在ではなくなりました。
これに限らず”理由をつけて結局は飲み食い”な感じの行事は
どんどん廃れています。
おいしいものを食べるのに口実がいらなくなったから
じゃないか、と思うのですが。

嫁に出す・婿に出す、といった出るケースだと、
タオルを一本持って、たいていは父親が、ジンギして回ります。
”むすめが、はぁ、今度嫁に行くことになったんで・・・”
少しさびしそうに、ぼそぼそ話す親父さん。
・・・・あれ、やりたくないなぁ。同情しちゃう。(心配するにはまだまだ早いが)

どちらにしても家と家のやり取り、であることが、ほとんどです。
私のように、どっちでもなく二人が結婚しただけ、なんていうのは
選択肢にない様です。お年寄りは、新規選択肢は登録不可、
手持ちの選択肢に無理やり分類方式ですので、
我が家のケースについては、人によって理解がまちまちみたいです。


さて葬式になると話が長くなります。詳しくは、後の項で書くとして、
大雑把な内容だけならべましょう。
なくなるとすぐジンギに行きます。死に水も取ります。
喪主から、”ご近所の衆に厄介になりたので、お願いいたします。”
といわれれば、その場で、
葬儀委員会のようなものを作って、役を決め分担して捌いていきます。

大体2日、友引が入ると3日、各家から人を出して、サポートをします。
ここの廓は大きいので、20軒を、大体半分に分けて、
おのおの自分の所属するほう10軒を"内ぐるわ"
しないほうを"外ぐるわ"と呼びます。
葬式の場合は、内ぐるわは、男女各1人、外ぐるわは男のみ一人、
が、でます。
この場合、かならず平服です。親戚よりももっと裏方なのです。

女衆の場合は、朝6時のご飯炊きから始まりました。
精進落しがすむまでは親族や、家族は、おさんどんには
まったく手出しをしないのです。
この間の台所は、完全に廓の女衆の支配下です。
三食を作り、食べさせ、食べて、最後に自分たちの洗い物をして、
帰ると10時ごろになっていました。
男たちは、設営や、引き物の袋詰め、お金の管理、死亡届、火葬場の予約など、
表の仕事をします。
原則として仕事は休みます。これは、村中が全部農家だった頃の名残でしょう。
勤務先が、近くの畑じゃ、廓の仕事をサボって稼いでいるわけには行きませんよね。
いまはサラリーマンも、多くなりましたので、
ジンギの時に年寄りにことわりを言えば、OKです。
さて、陶芸家も窯に火が入っている時以外はすぐに行かなくてはなりません。
窯に点火した所で、知らせが来て、
炊き上げた徹夜明けで、即手伝い、何てこともありましたっけ。


これは廓としては残っていません。
昔は周辺3つのくるわで集まって、如意輪堂を中心に念仏講があったらしく
名残として、掃除と風通し程度のものがあるだけです。
それでもおととし、うちに年番が回ってきたんです。
と、いっても紙袋にすすけた木箱が一つ。
一年保管して、次にまわすだけ。恐る恐る、
でも興味しんしんで、開けてみましたよ。
中身は破れたちょうちん一つ、
江戸時代から戦後しばらく位までの和とじの会計報告。
(つけ木を一束、ろうそく一箱、とか毛筆で書いてある)
これは、ピン、ときました。
お祭り大好きな私が、毎年出かける熊谷のうちわ祭りでも、
年番は、裃姿に、年番を示すちょうちんを持ち、
大福帳(勧進帳に当たるのかもしれないです)
を下げていますから、きっとそれなのです。
観光というご利益をもたらす神様は残っていきますが、
それ以外の小さな神々は信仰が消えて、祭りが消えて、
かみぶくろ様だけがのこり
この先何年もぐるぐるぐるぐる回り続けるのでしょうか。




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